は!?惑星準備室

NYの学生起業家が最高のSNSプラットフォームを作る話

ユートピアはディストピア

ごきげんよう, たんのです

全く関係ないのですが最近髪の毛の色が急激に変わって不安です

ハゲるんですかね? まあハゲるのも面白いかもしれません

 

 

今日はダラダラ書いていくので,

例のごとく最後だけ読んでいただければ,

僕がPlanetsに求めるものがわかるはずです

 

 

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人がいるところには社会が生まれます

その形は時代によって様々で, かつての常識は現代では非常識です

 

 

今我々の持っている常識が非常識になる日もそう遠くないうちに訪れます

 

僕たちはインターネット上に人格を形成するためにPlanetsを開発しているので

その先にある社会についても想いを巡らせます

 

 

今日はそんな話をしましょう

 

    「ユートピアはディストピア」

 

                     僕にとっての理想郷のお話です

 

 

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まずはユートピアとディストピアについて確認しましょう

 

ユートピアとは一般的に言うところの「理想郷」です

16世紀初頭にトマス・モアが提唱した社会のあり方で,

非常に管理社会的な, 極めて人工的で合理的な社会のことです

 

ディストピアというのは, ユートピアに対する逆ユートピアです

というよりユートピアが持つ負の側面を押し出した考え方という方が近いでしょう,

 

 

行きすぎた理想の追求が足元を掬うだろう, というような,
ユートピアに対するアンチテーゼのような考え方です

 

 

そうです, ここまででお気づきかもしれませんが, 

ユートピアというのはもともと社会主義や全体主義を理想とした, 

非常に合理的な社会を理想として描かれたものだったのです. 

 

 

それに対してディストピアは, 管理社会に対する不自由さや恐怖を描いています

 

 

とある時代では「1984」のような世界がユートピアと呼ばれ

また別の時代では, それはディストピアと呼ばれます

 

 

つまり僕が言いたいのは

理想郷なんてどの時代でも, 今とは違う社会を羨んでるだけ

ってことです

 

 

当然, 自由主義的な社会も, 共産主義的な社会もそれぞれに利点と欠点があります

結局のところどちらも極端になれば理想とは程遠いのです

そもそもその理想が時代に依るって話なんですが

 

 

それなら僕が未来の理想郷を提唱します

 

 

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その前に一度, 現代の流行に照らすとどんな理想郷があり得るでしょう?

 

 

例えばブロックチェーン的社会, これは五人組の拡張した社会です

大きな権力による中央集権的な支配から, 

個々人が社会全体の調和を担保するようになる社会です. 

 

 

ただしこれには少し問題があります

 

 

管理社会の優れている点は, 全ての人に責任を強いてない点です

 

 

しかし, 誰もが等しく責任を負うようになれば, 

大きな力からは自由になりますが, 個々人がそれぞれに大きな責任を負います

 

 

自由とは責任を負うことの言い換えです

 

 

多くは責任なんて負いたくないもので, 安全にぬくぬく生活したいという人だっているでしょう

 

 

ただでさえ息苦しい社会なのに, それが一つの堅牢なネットワークになってしまえば

ビッグブラザー的な管理社会よりさらにタチが悪いのではないでしょうか?

 

 

結局のところ

大きな力に依る中央集権的な社会も, 

無理な力で自由を確保する強制非中央集権的な社会も,

どっちも息苦しそうなもんです

 

 

だから時代によって理想郷の考え方が変わるんでしょうね

 

 

 

それなら僕はもっと欲張った理想郷を提案します

 

 

「流動的な繋がりからなる半中央集権的な社会」

 

 

欲張りですが, これが僕の理想郷です

 

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その理由と, 実際にどんな感じかをお話ししましょう

 

 

僕が一番好きな社会の構成単位は「家族」です

 

 

大きすぎる社会主義は崩壊します, 

学校という範囲ですらいじめや不調和が絶えません

 

 

もちろん例外はありますが, 

それでもギリギリの調和を保てる最大の共和的構成単位が家族だと思うのです

 

 

家族は家庭内でそれぞれルールが, 役割が, 責任が異なります

これは個別の家族にも言えますし, 家族そのものの役割ですら場所によります

 

 

しかも家族は捉え方によって範囲が変わります

 

 

お葬式など, とある場合では親族全体が一つの家族として

日々の経済においては共に生活する家庭が一つの家族として

また結婚や様々な理由で独立した家庭のグループが新たに生まれます

 

 

この「流動的でありながら互いにつながりのある社会性」という面が優れていると思うのです

 

 

誰かの問題は全体で共有して解決することもできますし, 一方誰かの成果は全体の成果になり得ます

 

 

ただし, そのままでは社会全体に通用しません

 

 

家族が機能するのはあくまでも「家族だから」なのです

 

 

堂々巡りのようでパッとしませんが,

家族そのものに価値がある現代だからこそ通用する枠組みです

 

 

仮に社会全体が相互に責任を負うようなシステムになれば, 

家族の価値も役割も少しずつ変化して, やがてほとんど失われるでしょう

 

 

それならその前に

 

 

個々人が自身の価値を持つことができ, 状況に応じて所属する枠組みが流動的に変化する社会があったらどうだろう, と思うわけです

 

 

先ほど話した現代の家族観が社会全体に適用されるイメージです

 

 

その社会では国家は必要ありません

資本や経済を大きな枠組みで一括管理する必要がなくなるからです

 

 

ただし国に替わるギルドのような大きな集まりは生まれるでしょう

 

 

それは互いに経済活動を行ったり,

社会全体に対する責任を負う法人格のようなものです

 

 

その時代には物理的な貨幣は弊害となります

国の力で価値が変動するような経済は, 国が大きな責任を負うから可能なのです

 

その社会ではそれぞれのコミュニティの発行する仮想通貨が, 

社会全体での価値を元に相互に取引できるようになるでしょう

 

 

それでも犯罪など問題は尽きないでしょうね

その場合は家族が罰を与えるがごとく,

そのコミュニティごとのルールが生まれるのかもしれません

 

 

そういう意味ではこれもまたディストピアと呼ばれるかもしれませんね

 

 

そしてそれを可能にするのがサイバーな人格です

物理的な制約を取っ払うことによってのみ, 自由度の高い流動性が得られると思います

 

 

今は住んでいる場所によって言葉も違えば通貨も違います

それは国家というそこそこ大きな権力の中に生きているからです

 

 

ですが仮に

 

「全ての人のインターネット上の人格が認められ, それらの人格によって大小様々なコミュニティが現代的価値観を超えた枠組みで繋がる社会」

 

 

があれば, それは僕にとっての理想郷です

 

 

僕のユートピアは物理的制約から自由になる社会, 

地球全体が様々な未来的家族による流動的な繋がりによって調和する社会です

 

 

そのための第一歩として,

web上でバラバラに散ったアイデンティティを統合するサービスを開発します

 

 

それが今後どのように社会に影響を与えるのか, 

または一切の影響を与えないのか

 

 

何もわかりませんが, ここに一つの哲学があることは確かです

 

 

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ちくしょうバレたか!!!!

今日の記事もなかなか痛い感じにできたんじゃないでしょうか??

 

 

あくまでいまこんな風に思ってるって感じなので

バッシングもいろんな意見も大歓迎です

 

専門家の方がいれば訂正してください

 

 

とりあえず俺は髪の毛が無事であれば嬉しいな!!!!

 

 

では!!

 

あ、よければ読者になっていただけると励みになります......ぜひ......

 

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次回は休憩

 

               「全人類総bot化計画」

 

                      またきてください!

 

 

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